アラフィフになり、若い時に感じていた物欲がなくなったと感じる今日この頃。
給料や、僅かな臨時収入が入っても老後の備えと、いつか来るであろう車の買い替え資金を蓄えるだけです。
日常的な趣味の道具は一通り揃っており、特段買い足す物はありません。新商品が次々と発売されていますが、今ある装備で対応できています。不自由は感じないので欲しいとは思いません。
私は、服装に気を遣うタイプではなく休日はお気に入りの洋服を2‣3着程度を着回しするだけの生活を送っています。
しかも、趣味のアウトドアで使っているシャツやらアウターやら。冬は暖かさを感じさせてくれますし、動きやすいし丈夫。かっちりとした場に呼ばれることもなく。
学生時代や30代の頃は、一応流行りのタイプなんか買ったりしていたのですが。
今では、自分が快適なこと・部屋をスッキリさせたい気持ちのほうが強く、趣味と実用を兼ねた服装になっています。
こんな生活を送っているから、時々、困ることもあります。
先日、社会的にしっかりとした異性と飲みに行った時の話。
私は、スーツを職場ロッカーに置いてあります。そのため、通勤時はランニングシューズにアウトドアジャケット・パンツに身を包んでいるわけです。
これが機能的であり、夏は汗をかいてもすぐに乾くし、冬は暖かい。このスタイルに変えてから10年近く経ちます。
ところが、先日。仕事中に異性の方から飲みの誘いを受けたわけです。
その方は、ワイン好き。しかも、私とは異なり会社で立場のある人間。
その方が好きなワインが置いてあり、肉料理が美味しいお店で飲んだわけです。
こちらは、いつもの通勤スタイル。最初は、仕事着で行こうかと考えましたが、動きにくさに違和感を感じたわけで。結局、10秒悩んだ末にいつもの服装にしたわけです。
待ち合わせ場所で合流し、お店へ。お互い、いい年ですから。それぞれがそれぞれの世界を持って生活してきたことを尊重できるのでしょうか。砕けすぎな服装に表情を変えることなく。
美味しいお酒も入り、お互い饒舌になり。仕事の事や私生活の事(趣味や余暇の過ごし方等)なんか、楽しく聞くことができました。
お相手は、幾つか掛け持ちしている趣味サークルでも、何個か役職を持っている方す。私が素直に思った印象は、「社会性がある人間だ。」と。そして、「疲れないのかな。」。
その、社会性とはなにかと。ネット検索して出る意味は、
1.広く社会に通用する(または存在価値が認められる)ような性質。
2.社会集団の一員であるのにふさわしい性質。
とのこと。
私は、一応、社会人として働いていますが、あまり社会性はないと自己分析しています。集団行動が、嫌い。休日は、一人で過ごしたい。だから、天気と自身の都合で自由に楽しめるアウトドア遊びが性に合い、そして好きなんだろうなと・・。
思えば、学生時代、自転車ツーリングにはまり野宿やテントを使って気ままに旅をしていました。今は自転車は乗っていませんが、出たい海辺を探して小旅行がするのが好き。あと、その日の天気を見ながらトレッキングしたり。
予定のない休日が好きなんです。その時に、やりたいこと休みたいことを決める。単なる我儘なのかもしれません。
「社会集団の一員」としては、素質は欠けていると思う。
合わない人間とは、合わない。それは、上司だろうと部下だろうと。仕事中は、耐える時間だと割り切って過ごしています。いつか、帰って酒飲みタイムが来るさ、なんて思いながら。
私は、一人で野山や水辺で遊ぶのが大好きです。飲み会の翌日も、一人でスノートレッキングに出かけたわけで。私が暮らす地域は雪不足。例年だとパウダースノーに近い新雪の上を歩くのですが、今年はシャーベット状。残念ながら、爽快感はありませんでした。
天気は曇り。少しくすんだ灰色と白色の森が広がるばかりです。ただ、今回の新発見は樹々に苔が生えていたこと。ふと目にした苔の形が新鮮で、苔探しのスノートレッキングになったわけです。
ただただ、雪の上を歩いて苔を探すだけ。綺麗だと感じた苔を見つけては、写真に収めるわけです。遠目に発見しては、近づき観察して喜んだり少し落胆したり。たぶん、宝探しみたいな楽しさ。
いい年の大人が、一人森の中で夢中になりました。社会性がなくてもいいじゃないか。
興味が向く時間の過ごし方が、社会性を求められる時間の過ごし方なのか、求められない過ごし方なのか。それだけの違いのような気がします。
ただ、もしアウトドア遊びに社会性を求められるとしたら(最低5人以上のパーティー必須とか)、たぶんやらないと思う。
そう考えると、自分の生活ってルールや自由と微妙なバランスをとりながら、取捨選択して成り立っているんだと思った。
居心地の良さ、悪さはこれからも変わっていくのでしょうね。